2002-07-23 第154回国会 参議院 総務委員会 第23号
株式会社エンデバーコーポレーションに係ります贈収賄事件の公訴事実の概要などでございますが、大津中央郵便局郵便調整室上席課長代理として料金別納郵便物の引受検査などの職務に従事しておりました西村聰及び京都中央郵便局郵便部第一普通郵便課長として同様の職務に従事しておりました大西康規、この両名が広告郵便物の発送代行等を業といたします株式会社エンデバーコーポレーションの常務取締役からそれぞれ、同社が搬入いたしました
株式会社エンデバーコーポレーションに係ります贈収賄事件の公訴事実の概要などでございますが、大津中央郵便局郵便調整室上席課長代理として料金別納郵便物の引受検査などの職務に従事しておりました西村聰及び京都中央郵便局郵便部第一普通郵便課長として同様の職務に従事しておりました大西康規、この両名が広告郵便物の発送代行等を業といたします株式会社エンデバーコーポレーションの常務取締役からそれぞれ、同社が搬入いたしました
ところで、電気通信なんかの場合にも、接続ポイントを設けまして、市内回線を使わせるということで接続料をとっていく、そういう類似のことでお考えかというふうに思いますが、郵便がちょっと違いますのは、私も昭和四十九年に郵便課長をやりましたけれども、郵便で一番大変なのは波動性でございます。それからスピードでございます。
平成三年の一月二十三日に、業務運行状況等把握のために大分中央郵便局に臨局しました九州郵政局郵務部の係官を、当該郵便局の郵便課長が郵便課の事務室におきまして勤務中の職員に紹介したわけであります。
寺西郵便課長も来ました。そして、このときは郵便課の主任の井口正美さんという人に対して今私が御紹介したと同様の国際ボランティア貯金に入れという理由で管理者数人による暴言とつるし上げです。 そして、これは午前八時十五分ごろ、郵便局長が朝のあいさつに回ってくる。しばらくしてから河合総務課長が郵便区分をしている――本人が郵便区分の仕事をしているわけでしょう。
熱田郵便局郵便課長の永田さんという方は五十四歳で死亡されている。みんな心筋梗塞だとかクモ膜下だとか、そういう容易に過労死につながることが推定される死因が多い。年齢的にこういう年齢ですから、まだそんなに年をとってはいない、働き盛りということです。 それで、こういう手紙が来ているんです。 私は三十年余り勤めた郵便局を本年三月、五十二歳で退職しました。
しかし、少なくとも七十名や六十名ぐらいの庶務課長、郵便課長、貯金課長、保険課長、大体この辺の人というのは本省か郵政局で見習いで来てない限りは、少なくともみんな少し——まあ私も大分しわがふえましたけどね、しらがか頭がはげているかどっちかですわな、本当の話ね、正直言って。
本来から言えば、そんなものは郵便局の局長なり郵便課長が見て、これは内容から見ても、あて先もないのだし、そんなものは普通だったら廃棄処分するとかしそうなものですよ。あて先にない部落解放同盟に対してそれを配達をしておる。何の気も使わずに、何の意識も持たずにあたりまえのことのように配達しておる。
君は係長になって郵便事業をやるために郵便局の郵便課長をやってこい。この人がまた本省なら本省へ係長で帰ってきたときに、郵務の係長でやるというならまだいいんだよ。ところが、この人が資材部へ行ったり監察の方へ行ったり。個々の例を私が言ったって詰まらぬ話かもわからぬけれども、私は、どうも労働集約型だ、人事は大切にしなくちゃいけないと言っても全くはたから見ていてわからないんですよ。
しかし、いま申し上げましたようなうそをついた当時の国立の郵便課長や保険課長、私は先ほどこの後の経歴について伺ったわけでありますけれども、転勤をして、出世ということはありませんが、だんだんだんだんいい役職についておられる。
それから、郵便課長か休暇許可者がはっきり、あす、あさってはだめだ、こういうことを言っておれば、そんな二回も電報を打つ必要なんかないじゃないですか。そういうごまかしばかりやっておるからマル生紛争というのは解決をしないのですよ。そんなものは常識でしょう。担当者が、責任者があした、あさっても休めぬと言えば、後から二回も電報を打つようないやがらせをやる必要はないじゃないですか。非常識ですよ。
十二月八日午後六時ごろ、十二月九日の年休請求書を郵便課長にお願いしますと言って提出をして帰った。郵便課長は、この年休請求については業務に支障があり付与できる状況になかったので、この旨を当日本人に、帰ってしまった後、夜、電報で通知をした。さらに、九日当日、本人が所定の勤務につかなかったので、再度出勤を電報で命令した、こういうことです。
その明くる日に、またもう一回年休届を郵便課長のところに持っていきまして、あす休むと言って、郵便課長が、休みをとられればいろいろ業務のことを考えなければいかぬのですから、考えて、返事をするいとまもなく、すぐに帰られた。そうすると、もう連絡の方法としては電報しかなかった、こういうことで電報を打って出勤するように命じた、こういうわけでございます。
郵便課長だって、いま何年ですか、ちょっと長い人は三年でしょう。二年でかわるでしょう。このような人事のあり方。 それから、あなた方はいろんなことを言われます。しかし、組合が合理化に反対するとかなんとかという以前に、少なくとも三年先、四年先の合理化計画というのは、郵便なら郵便でもって組合に明示していますか、計画をつくっていますか。計画もつくらない、計画も示さない。
その組み立ての作業場、三十数名いるそうでありますが、実に一時間前後の間に、たとえば五十三年八月二十四日には二十七回、二十六日には二十九回、三十日には二十五回、局長、庶務課長、郵便課長、郵便副課長が回ってくる。そして、仕事が遅い、組み立てが遅い、早く出るべきだと。こういう監視というのは一体どういうことなんでしょうか。これがまともな人間のやることでしょうか。郵政大臣はどう思いますか。
十二月の二日午前九時十分ごろ、中津川郵便局郵便課外務主任説田君は、背中がぞくぞくし寒けがしたので私物のジャンパーを着用し作業をしていたところ、同局郵便課長が課長代理を立ち会いにして、命令によりそのジャンパーを脱がせた。そのため説田主任は病状が悪化し、以降五日間の安静加療を要した。
「十二月八日午後六時ごろ、十二月九日の年休請求書を郵便課長に「お願いします。」と言って提出したまま、帰ってしまった。」——五島君が。「郵便課長は、この年休請求については、業務に支障があり付与できる状況になかったので、他日振替することとし、この旨を当日本人に通知」をした。「電報」と書いてある。電報で通知をした。「更に、九日当日本人が所定の勤務につかなかったので、再度出勤を命令した。」
そこで、郵便課長と相談しまして、立ち作業のない書留の——あれはほとんど座ってやる仕事でございますが、書留の処理作業に二割軽減ということで勤務時間を二割軽減して八〇%勤務させることにいたしましたが、一カ月後普通勤務を認めるとの診断書が提出されましたので、引き続き座ってやれる作業が多い書留の作業をやっていただいておる。
○政府委員(守住有信君) お尋ね二点あったわけでございますけれども、山形局のケースは昨年の十二月に不当労働行為に当たるということで公労委に申し立てたものの一つでございますけれども、御指摘のように人事異動に伴う郵便課長の引き継ぎメモに、職員個人に関する記事がありまして、これは組合活動を理由に不利益な取り扱いをするための準備行為と見なしているものだというふうな角度からの不当労働行為申し立てと理解をいたしております
もう一人の局長代理は目下入院中だというようなことを聞いたわけですが、また十二月の中旬ごろですか、関東の各地の郵便局の郵便課長諸君が相当過労のために仕事を続けることができなくなった。そのためにほかの人に事実上一時的、あるいは半恒久的にポストが入れかわったとか、そういうことなども聞かされたわけですが、それらにつきまして、もしお手元に事情がわかっておるようでしたらひとつ御報告を願いたいと思います。
転勤希望もあり、素直さが欲しい、こういう添え書きをしておるんですね、郵便課長が局長の年賀はがきに。そこでその受け取ったお父さんから抗議が来たわけですよ。抗議が来ましたら、その抗議に対して謝罪文を書いているのです。謝罪文を出しているわけです。これは秀夫君というらしいのですが、「本来は、秀夫君と私の間のコミュニケーションが完全であれば、お父さまに御心配をおかけする筋のものでありませんでした。」
その中に今度は、第三郵便課長の金田舜伯という人が添え書きをしているのです。何と添え書きしているかというと、局長は親御さんに対して、日ごろ子供さんは一生懸命やっているから感謝します、ますます御多幸を祈りますという年賀状ですが、その中に、御子息は九月から、とにかくワッペンなんかつけて心配です、転勤希望もあるし、率直さが欲しいなどと書いているのです、元気に働いていますという年賀状に。
そして、さらに関東郵政局は、十月の六日に郵務部長が郵便課長会議で演達をしております。それは表向きは正式な手続をやる、そのとおりでしょう。手続をやらなきゃ大変なことになります。しかし、従来番地が違い、配達が不可能な場合は一たん持ち戻って、その上でしかるべき措置をしています。これに関する限りは探して歩け、即刻その日にその措置をせよ、事故扱いは即日配達せよと、こう指示している。
これは木村という郵便課長が牛込郵便局の貯金課へ配転さしてやるけれども、全逓を脱退することが条件ですよ、と。ところが、全逓を脱退しないと言ったので白紙になったという。三十年も勤めても主任にもなれない。 私はそういうことが、私が先ほど言った四十五年から四十六年、四十七年、四十八年、四十九年と、大臣が言うように、先人の方が努力をされてきた。共通の土俵を広げながら柔軟な姿勢でお互いに話し合ってきた。
池田の郵便局や大垣の郵便局じゃまた問題が起こる、関東の郵政局郵務部長は郵便課長会議では演達をする、これが私は問題だと言うんです。私は、大臣ね、少なくともこういう措置が公然と行われている、国民は何と言うでしょうか。速やかに私は是正をしなくちゃならぬし、速やかな措置をとってもらいたい。まだ二十七日まであります。
○米田委員 新聞で知る限りでは、私の常識からすれば、これは現場郵便課長が十分に処理できるもので、現にやっておるのですから、処理しなければ郵便は回らぬはずであります。
○守住政府委員 佐藤の後任の局長は伊藤と申しまして、年齢四十七歳、部内在職三十二年、前歴は保土ヶ谷の郵便局の郵便課長から参ったものでございますが、先生がおっしゃいますように、局の中の管理監督、日常の日締決算の内容から、どうもこの点が部下任せきりの面が非常に多かったようでございまして、私どもとしましても、当然に監督責任があるということで、近日中にこれの行政処分とさらには人事上の措置ということを考えておる